〈ポーランド・グダンスク〉第二次世界大戦始まりの地となった琥珀の港町

2013年9月

ドイツから東へ、ポーランドへやって来ました。
雰囲気が落ち着いていて、お気に入りの国ですv

中世の面影を残す港町

港町グダンスク

まず訪れましたは、バルト海に面した港湾都市グダンスク(グダニスク)。
14世紀にドイツ騎士団に征服され、その後ハンザ同盟に加わり貿易で栄えた街で、かつてはダンツィヒというドイツ語名でも呼ばれていました。

グダンスク中央駅
グダンスク中央駅

黄金の門と囚人塔
手前の白い建物が黄金の門。
奥のピンクの高い建物が囚人塔(琥珀博物館)

ネプチューンの噴水
町の守護神である海神ネプチューンの噴水

グダンスクの街並み

琥珀(ジュエリーショップ)
琥珀をよく見かけます。バルト海沿岸は琥珀の産地なんだそう。

ジュエリーショップのショーケースに収められているものから、露天商で無造作に並べられているものと様々。偽物(プラスチック?)も混ざっているそうな。

琥珀(露天商)
これは本物か偽物かなー。私が見てもわかりません^^;

港町グダンスク
バルト海に通じるモトワヴァ川。海が近くウミネコが鳴いています。

左の船は海洋博物館になっているんだそうな。

第二次世界大戦開戦 – ポーランド侵攻

その地の利から、昔から幾度もポーランドとドイツの間で帰属が争われ、その勝敗によって両国を行き来してきたグダンスク。

第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によってグダンスクはドイツ支配下を離れ、国際連盟管理下の自由都市となり、外交・関税・交通関係はポーランドが管理していた。

しかし、住人の90%をドイツ人が占めるグダンスク=ダンツィヒ。当初よりドイツはこの奪回を求めていた。

ナチスが政権を握ると、ヴェルサイユ条約によって失った領土へ侵攻、併合を進めてきた。
1939年3月、ポーランドにダンツィヒ割譲とドイツからダンツィヒへ通じるポーランド回廊の自由通行を要求し、ポーランドがこれを拒否。

1939年9月1日。
友好訪問を名目にグダンスク港に停泊していた練習艦シュレスヴィヒ・ホルシュタイン号が、突如ポーランド守備隊に対して砲撃を開始した。

ポーランド侵攻 – これが第二次世界大戦の幕開けとなった。

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