〈経緯〉世界一周に出るまで

さぁ旅立ちだ〜
とその前に。

世界一周に行くことになった経緯を記しておこうと思います。

学生時代~そこまで旅&海外好きってわけでもなかった

うちの母は、気づけば地図か電車の時刻表を広げてるような人でした。思い返せば、そんなに頻繁ではないけど、ちょこちょこいろんな所に連れて行ってもらったな~と思います。

でも、母が行きたいから付いていく(お供兼荷物持ちとして)って感じで、自分がそんなに旅行好きだとは思ってなかったです。地理も私自身は詳しくないし。

海外についても、大学時代に家族と台湾、友達と韓国に行ったくらい。人並みにまぁ、「旅行も海外も行きたいけど、中々ね~」って感じかな。

ひとり旅も、世界一周行く前に、一応経験しとくか〜と倉敷行ったのが初めてでした。しかも1日目は岡山と友達で遊んだあと一人で東横イン泊まって、2日目に倉敷に移動して、ちょっと回って帰ってくるだけというへたれっぷり^^; そんな訳で、世界一周初めの1ヶ月程は戸惑いだらけでございました。

ただ、旅に出る素地はあったんだなと、振り返って思いました。
小学4年までは21時就寝だったけど、『世界ふしぎ発見!』のある土曜だけは22時まで起きててよかったとか、高校の世界史の先生が世界を色々旅してる人で、「エジプト人に男に間違われて口ゲンカした」とかってエピソードを聞いたのが印象に残ってたりとか。

その頃は、まさか自分が世界一周することになるとは、夢にも思ってなかったですけどね。

社会人時代~転機

大学卒業後はシニアマンションの管理に携わっていました。
シニアマンションってことは、多くの住人さんにとってそこは〈つい住処すみか〉なんですね。自分が勤めていた3年間でも、多くの方が寿命を全うされました。

すごくエネルギッシュだった方が、奥様が突然亡くなられた後、しぼむように元気がなくなって、病気で亡くなられたり。
「ボケ防止のために駅から歩いてきてんねん~」って言いながら元気に働いてくれてたスタッフの方が、がんになってしまったり…

脳裏に焼き付いているのが、癌になって余命半年と宣告されたおばあさんが、受付にいた私に挨拶に来てくださった時のこと。癌による黄疸おうだんで顔全体が黄色くなっているけれど、頭はすごくはっきりとしていらっしゃって、「私はもうすぐ死にます。お手数をおかけしますが、あとの事はよろしくお願いします」と頭を下げられた。

また、そのシニアマンションの理事長さんのお話。80歳を越えておられたのだけれどお元気で、「でも僕も、いつお迎えが来るかわからないからね。若い頃は、死ぬのってなんだか怖いと思うでしょう?でもこの年になると、隣の部屋に行くのと、大して変わらないんだよ」と。

こうした体験を経て、「人生にはいつか終わりが来るんやな」ということを感じるようになりました。言われてみれば当たり前なんだけれど、それまでは意識してなかったんですね。

そしてイメージするようになりました。「自分は人生の終わりに、何を思うやろう」。

そこで思い浮かんだのが、「もうちょっと、自分の知らない世界を見てみたかったな…」ということ。自分と違う肌や瞳の色を持った人たち、日本と違う言葉や文化。

そんな折、本屋さんで『はじめての世界一周』という本と出会い、「そんなん出来るんや!」と自分の中で世界一周が現実化することとなります。

〈おまけ〉旅立ちを決めてから

世界一周に出ることを決めて、それを周囲に言った時の反応が印象に残っています。

「いいなぁ!私も行きたい〜」
「なんでそんな(危ない/面倒な)ことするん!?」
って言うののどっちか。
価値観が出ますね(笑)

あと旅出る前にやっといて良かったのが、近視矯正手術です。角膜の厚みが足りずレーシックが出来なくてICL(眼内コンタクトレンズ挿入術)に切り替えました。

術前は両目0.02だったのが術後2.0に(今は多分1.0くらいに落ちちゃいましたが)。それまではコンタクト(2week)使ってたので、商品買いに行ったり洗う手間がなくなって快適です〜旅に行っても行かなくても、やってよかったICL。

私が手術したクリニックです。親切・丁寧に対応して下さいます。
ICL | 神戸神奈川アイクリニック

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